どうもどうも、静寂はるです。 二周目が巡ってまいりました。 先週、先々週のお二方のブログを読んで思ったのですが、私のこの“静寂”という名字、なかなかに面白いなと。“せいじゃく”という言葉が広く知られているが故に、それが自身の仮名として呼ばれていることにむず痒さを感じています。他の人の文章に自分の名が登場している気恥ずかしさもありますね。 慣れないうちは“せいじゃく”さんで読まれる機会が多いとは思うので、その視点も含めて静寂はるは他の人のブログを楽しみます。 さて、今週の月曜日は2月22日でしたね。 にゃんにゃんにゃん、のゴロで猫の日と言われているようです。 クリスマスやバレンタインデー程の大々的な規模で世が盛り上がるわけではありませんが、キャットフードがお買い得になったり、猫に似せたミニケーキに注目が集まるなどそれなりの猫ムードが漂っていました。 猫、好きなんですよね。 あの身体の柔軟さでどこへでも行けるような顔をしている猫。自由奔放で気位が高いような態度をしながらも、時折聞こえる鳴き声はどこか控えめなのがなんとも可愛らしい…。 私は家で人以外の生物と一緒に暮らした経験がほとんどありません。覚えている限りでは夏祭りで獲得した金魚を少しの間育てたか育てていないか、という曖昧な記憶があるのみです。 猫と直接触れ合ったこともあまりなく、今までにニ、三回行ったことのある猫カフェが最も近い猫との関わりでした。 幸運なことに、私の通学路の途中には野良猫がたくさん集うエリアがあります。そこにいるのはスタイリッシュな猫が多く、かつ運動神経も抜群です。見つけると、しばらく人と視線を合わせたあとすぐ去ってしまうほどに警戒心が強いようです。 道路では尻尾の千切れた猫が闊歩していたりします。縄張り争いなのか子孫のための争いなのかはわかりませんが、猫同士の喧嘩の激しい鳴き声がその場一体に響いていることもあります。 猫好きを公言している私ですが、猫に対して種類や性格などの具体的な情報を知っているわけではありません。それは、私が好きな点は猫の自由さにあると考えているからです。
他の動物にも気ままな性質をそなえているものも存在するとは思いますが、猫は私が幼い頃からそのイメージに触れてきた存在であり、様々な家庭や個人に受け入れられているという状況もあるために、私の憧れの象徴として存在感を強めるようになったのかもしれません。
なんの捻くりも、隠された意味もなく、素直な心で猫を好いています。
猫をずっと愛でていたい
それが私の夢であります。
ということで、今回紹介するのは猫が出演する本です。(今回は画像が貼り付けられなかったので文字のみとなります。)
『世界から猫が消えたなら』 川村元気 著 マガジンハウス 出版 ─この世界からひとつ何かを消す。その代わりにあなたは一日だけ命を得ることができる─ 『世界から猫が消えたなら』は、私が小学生のときに何度か読み返していた、思い入れのある本です。
失った存在を記憶していることは、元から何も知らなかった場合よりも、一層喪失感を抱く状態であると思います。 失ったものを数えるたび、自分の人生の虚しい部分に心が押しつぶされていく。そのために人は過去や、そこから繋がる現実を直視することに恐れを感じる。私はそう考えています。 この本は、普段見ぬふりをして切り捨てている、本来大切にすべき物事の存在に気付かせてくれます。 また、アナザーストーリーとして、涌井学さん著の『世界からボクが消えたなら』も小学館文庫から発売されています。こちらは原作とは異なる視点で新たに物語の世界を読み直すことができます。 それと文化祭のときにも動画で紹介した、森晶麿さんの『黒猫の遊歩あるいは美学講義』も猫関連で改めて題をここに載せさせていただきます。 最近、梅の木に花が咲き始めましたね。 春。もう春。
眠いです。 それではまた。
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