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億劫=期待感説

  • 2025年12月21日
  • 読了時間: 5分

 どうも源治麿です。

 いよいよ歳末という時期になってきて、街中全体が何かとあくせくしているように感じる頃になってきました。特に今日なんかはクリスマス前最後の日曜日ということもあって、列島中が浮ついているような感覚があります。駅に行けばやれクリスマスツリーがどう、店に行けばバーゲンセールがどう、家に帰ってテレビをつければライトアップがどう__ただ漫然と、予定もなしに生活するのが大好きな私としては、こういう風に愉しみを押し付けてくるような世間の動きに、些細な抵抗を試みたいような気もします(勿論、これらは決して私のような思春期特有の視野狭窄に陥っている学生向けのプロモーションでないことは重々承知です)。

 日本語では上記のような感情の機微を「億劫」と表現したりします。元は仏教用語であり、果てしない長い時間を意味する言葉です。その時間ががどれくらいかというと説によってまちまちであり、有名な落語「寿限無」の作中に登場する「五劫の擦り切れ」の「劫」は3,000年と説明されている一方、宇宙循環論の中では1つの宇宙の誕生から消滅までの長さと説明されています。いずれにせよ「億劫」とはその劫の1億倍の長さの時間を示す単語であり、とても耐えられないことを意味する言葉として良く理解できます。

 さて話は変わりますが、冬休みに入って、私にも何かと他人と計画立ててお出かけをする機会が増えてきました。私とのお出かけを心待ちにしている人たちには本当に申し訳ないのですが、正直、約束した日から当日に家を出るまでの時間が、とても億劫に感じたりします。やれ、どんな格好していけば良いのかしら、とか、どんなことしたら喜ぶんだろう、とか、ご飯を食べるならどんなのが嬉しいんだろうか、とか……そういうことに頭を使うのが本当に嫌で嫌で、私って人付き合いが向いていないんだなぁとつくづく思います。

 先日、母と叔母と一緒に祖母の墓参りに行ってきました。これも言ってしまえば母と叔母と計画立ててのものだったわけですが、故人には無礼なのを承知で書かせてもらいますと、とても億劫に感じていました。そもそも墓参りとか葬式とか、そういったかなり直接的に死を連想させるようなものが苦手なこともあり、休日にしては朝早くからの予定ということもあって、一日々々を漫然と過ごしたい私としては些かの抵抗がありました。

 三人で墓参りに訪れたのは朝の一〇時くらいでしょうか。まずは墓石周りの枯葉やら朽ちた献花なんかを片付けて、それから墓石を水とブラシを使って綺麗に磨いて、それからまたついさっき買ったばかりの花束を生けて、そしてようやく祖母に手を合わせる段になりました。私の祖母が亡くなったのはもう一〇年以上も前のことですが、今でも保育園時代の泣き虫の私によくしてもらったことを覚えています。それに私もこの期間で成長し、色々な人間模様を見てきたことで気丈な母親への尊敬の念が強まり、それに伴ってそんな母親を育て上げた祖母への尊敬の気持ちも高まっていたこともあり、私も素直な気持ちで手を合わせることができました。

 墓参りも終わって帰路に着いたとき、私はそこに一種の充足感を見出しました。私自身、しばらく墓参りに行けていなかったこともあって、何か一つ善行をしたような気分になったことも事実ではありますが、それでも前日までの億劫さから考えると、これは予想外の心情の変化でした。私は家に帰ってから、このことをあれこれ考えました。その結果として、私は「億劫に思う気持ちとは、要は期待感なのではないか」という結論に辿り着きました。墓参りという行為に「期待」という言葉が適切なのかどうかは分かりませんが、やはり私の心のどこかには祖母への感謝や尊敬の念を伝える機会を望んでいた気持ちがあったのでしょう。だからこそ、墓参りの後には不平や不満ではなく充足感が残ったのです。人とのお出かけ前の億劫さも、すべて同様のことでしょう。だいたい、約束して時間をとっている時点で楽しみでないはずはないのです。服装に気を遣ったりだとか、相手のことを考えたりだとか、そういった行動も本当に何も期待していないのならば起こらないことでしょう。苦手なことだからこそ嫌気が差すわけですが、本当に何も楽しみでないのならわざわざ面倒事と向き合おうという気持ちにもならないはずです。

 よくある物事を楽しみに待つときに「待ち遠しい」という表現が用いられることがあります。要は待っている時間が長く感じられるから用いられる表現なわけですが、待つ者の心情を途方もない時間で比喩するという点で「億劫」と共通する表現であると言えるでしょう。現代ではスマートフォンの普及やタイムパフォーマンスなるのものの向上が進行したこともあって、生活というものはだいぶ時間を要さずとも良いものとなり、それに伴って時間の要するもの全てを無駄だと見る向きも強まっているように感じます。私自身、何かと時間のかかるもの全てを「億劫」であると切り捨てがちになってしまっているのかも知れませんが、その億劫さこそが物事をより一層楽しみにさせる「期待感」の意外な正体なのだと知覚することができたことは、私にとって非常に良い経験になったと思います。

 
 
 

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