どもども 静寂です。 今週は高校の体育祭があったり、梅雨で毎日土砂降りの雨が降るなど、何かと賑やかな週でした。皆さん体調はいかがでしょうか。私は突然襲いかかってくる眠気と、体育祭で久々に走ったことによる筋肉痛と戦いながらここ三日ほどは過ごしています。 さてさて、今回は人間関係というものについて書いていこうと思います。 私は人間関係を「社会的な関係」と「個人的な関係」に大きく分けることが出来ると考えています。 「社会的な関係」は、相手、自分、もしくは社会の利益になるような交流をする関係で、仕事などの関係がこれに当てはまります。 「個人的な関係」というものは、先程の社会的な関係と対比させてみると、相手の利益にならずとも、良い関係を保つことができる関係と言えます。友達などがこれに当てはまります。 学校や仕事などの社会性を大切にする場で「社会的な関係」のみを持って生きていても、人の生活は成り立ちます。一方、「個人的な関係」のみを持っていては、経済的な利益を生むことができないので社会が成り立ちません。そのため、コミュニケーションを鍛えるとなると「社会的な関係」が重視されがちではないかなと思います。 ですが私はこの「社会的な関係」はもちろん大切だが、「個人的な関係」も同じように大切にされるべきではないかと考えています。 集団を守るために築かれる「社会的な関係」と比べると、「個人的な関係」は人が集まるだけで自然に発生するものでも無いと思います。それに、両者は割と相互的な位置にあるとも思うので、2つをバランスよく調節することで、満足のいく人間関係を持つことができるのではないかと思います。 ここまでなんやかんやと言ってきましたが、要はどんな年齢になっても、自立をした後でも、時には我儘で、自己中心的になってもいいよねってことです。(前回の、本能もたまにはいいよねという話とも似ていますが)身にならない話でも、愚痴でも、好きなことでも、なんでもぶつけることができる相手がいたらいいよねってことでもあります。 このように私がどちらかというと「個人的関係」を推しているのは、私が好んでいたり、創りたいと思うもののベースには大抵「個人的関係」があるからです。「情」があるからとも言えます。友情、恋情、愛情、恩情などが見え隠れしているものなどが特に好きですね。 さてさて。ここらで久々に本の紹介でもしたいと思います。つい最近読んだ本です。 『脳人間の告白』 高嶋哲夫・著 河出文庫 大事故に遭った脳研究者が、自らが大事故に遭うことにより、脳だけで生きる”人間”として研究対象と成ることから始まります。脳だけ生きることは人間と言えるのか、死の定義とは何なのか。それらの倫理性について、様々な人の思想がぶつかり合います。 永江郎さんはあとがきで、この本は哲学入門の役割も果たしていると言います。確かにこの本では、人間の存在意義についての議論も多く繰り広げられており、読んでいると答えのない哲学上の問に困惑するかもしれません。 私が初めてこの本を読んだときには、脳だけで生かされている人間の感情変化に注目して読んでいました。 生死について、思想について、より深く思考するきっかけになるかもしれません。ぜひ読んでみてください。 あと数週間で夏休みがやって来ます。夏休みに入る頃に梅雨も終わるでしょう。 夏休み中にいくつか作品を書き進められたらいいなと思っております。 それでは👋
人間関係について、ゆるく考えてみる by静寂はる
更新日:2021年7月5日
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