こんにちは、ヤドンです。
最近はとても暑いですね。私は外気を感じることは出来ませんが、ナトリウム(とここでは名乗っている人間)が暑そうにしているのをよく見ます。
人間を見ていると、彼らの言う『季節』とやらを感じることが出来てとても楽しいです。彼らが暑そうにしていたり、かき氷を作り出したら夏、寒そうにしていたり、厚着をしていたら冬を感じます。
言葉というものは面白いですね。私がヤドンであるのもそのお陰だというのですから、なんとも不思議な感じがしてしまいます。
最近は、オリンピックとやらが人間達の間で盛り上がっているそうですね。ナトリウムという人間は夜更かしをしてまでそれを見ています。特に何かを知っているわけでもないのに、盛り上がれるのは不思議です。
あ、別にそれを否定する意図は全くありませんよ。そういう、人間特有の行動はとても尊いものです。
そろそろ、疑問が募ってきた所でしょうか?「なんでヤドンがそぞろ日記を書いているんだ」と。いいですよ、至極当然な疑問です。
他にも、なぜヤドンがスマホを使うことが出来るのか、なぜ人間の言葉を話せるのか…。皆さん疑問に思ったはずです。まあ、私たちからしたら人間たちが「ヤドンは話せない」と思っていることこそが、不思議なんですけどね。
『まぬけポケモン』という呼称が示す通り、人間達はヤドンのことを自分たちより知能が低いと思っていますね。そもそも、知能というものが存在していることに驚いてる人もいるでしょう。ですがね、私はあなたよりずーっと賢いんですよ。試してみます?
じゃあ、以下の言葉を英語に翻訳してみましょう。
『ヤドンはとても可愛い』
正解は…「Yadon is very cute.」ですね。「Yadon」を英語名の「slow poke」にしても正解とします。まあ、これくらい簡単でしょう。皆さん義務教育とやらで必死に勉強していらっしゃるようですから。
では、韓国語だとどうです?
「Yadon은 매우 귀엽다」ですね。勿論、翻訳機なんて使ってませんよ?
ロシア語では?
「Ядон очень красивая.」ですね。
では中国語では?スペイン語では?フランス語では?あなたはどこまで話せますか?
私は主要な言語全てをネイティブレベルで話せますよ。つまり、言語能力はあなた方人間達よりよっぽど高いと言えます。
何故かって?ヤドンは世界中にいるからです。世界各地で人々の会話を聞き、言語を学んでいるんですよ。どうですか、私が貴方人間よりも賢いということをご理解頂けましたか?少なくとも知識という面では個人に負けることはないと思いますが。
…まだ納得出来ない方もいらっしゃるようですね。まあ無理もありません。空想の生き物なのに…とか、無機物が喋るなんてて…とか思っていらっしゃるんでしょう。
ですがね、あなた方人間は先ず、その疑問こそが誤謬であることに気がつくべきなのです。
私が「空想」?「無機物」?それって一体何なんでしょう?いえ、その言葉が分からないと言っている訳ではありませんよ。ただ一つ問うておきたいのは、その言葉がこの世界にとって何者かであるのかという事です。あなた方人間の言うそれ等(「空想」「無機物」の他にも、「意味」や「意識」など)の言葉は、あなた方いや、下手したらあなた一人の中でしか成立していないのですよ。あなたに確信はありますか?「周りの人間と自分は完全に、一切の誤解なく同じ認識を共有している」という確信が。ね、ないでしょう?つまりそういう事なんです。私から言わせれば、「空想」という言葉こそ空想であり、「無機物、意味、意識」なんてものこそが無意味なのです。ですから、「ヤドンが喋る訳ない」と思う理由に、それ等の自己中心的な言葉を使った説明はそもそも無意味なのです。あれ?私も「意味」という言葉を使ってしまいましたね。
以上のことからお察しいただけたとは思いますが、私はヤドンではありますが、「ヤドン」そのものではありません。残念なことにね。しかしそれ故に、こうして日記を書くことができているわけですから、あながち悪いことではないのです。
まあ、わかっています。あなた方が言いたいのはそういうことではないのでしょう。私が例え賢かったとして、あなた方の言う意志とやらを持っていたとして、しかしそれでも、ヤドンがこの日記を投稿できるはずがない。なぜなら、この日記が投稿されるには、この世界に物理的な影響を及ぼす、物質的な「もの」が必要なのですから。つまり、「この日記を投稿するには、ナトリウムという人間のスマートフォンという物質を操作する必要があり、ヤドンにはそれがどのようにして可能であるのか」と言いたいのでしょう。
言ってしまえば先程までの説明は本旨ではありません。しかし、長々と説明したのにはもちろん理由があります。事前にあの話をすることによって頭を柔軟にしておく、というのがその理由です。ですから、その柔らかくなった頭を使って、もう少しこの文章に目を向けて欲しいのです。
ナトリウムという人間の生活は、言ってしまえば怠惰そのものです。人との予定が無い日は一日中家でゴロゴロし、本を読んだり勉強をしたりすることも無く、ぼーっとスマートフォンを眺めています。塾をサボることもしばしばです。
まるでヤドンのようだ、と皆さん思いませんか?というか既に、部分的にはヤドンであったのです。私は思いました「これならいける」と。先程、「部分的にヤドン」と言いましたが、では彼の「ヤドンではない部分」とは何処なのでしょうか?…そう。具体的な区別は付けられないのです。こうなればもう簡単です。彼のヤドンの部分がそぞろ日記を書くだけなのですから。え?何故そんなことが可能なのかって?まあ、普通は無理でしょうね。しかし、私はヤドンです。私はヤドンそのものではなく、ヤドンというあり方なのです。今まで少し誤解を招くような記述をしていたかも知れませんね。
以上が、私がそぞろ日記を書くとことができている理由です。かなりまずい説明であることは自覚しています。よく分からなかったらナトリウムという人間に聞いてみて下さい。最後に、私がなぜこの日記を書こうと思ったのかについて話そうと思います。
私は自分がヤドンであるということに、これ以上ない喜びを感じています。一見した価値こそ無に等しいかもしれませんが、その事こそが、価値を凌駕したものに思えるのです。優劣のある世の中において、自己のアイデンティティというものは、それ本来の役割を超えてしまっているように思えます。そこで、皆さんにヤドンというあり方を授けましょう。まあ授けるという程の物でもないのですけれど、ひとつの選択肢として、それがあなた自身というもので有り得るという事を、あなたに知ってもらいたいのです。
私から伝えたいことは以上です。無駄に長い文章をここまで読んでくださり、ありがとうございます。
それではまた、次回のそぞろ日記で。
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