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で、アジサイって毒あるの? by小弛乖

ブエノスディアス!絶賛低気圧に溺れている小弛です。はい、梅雨入りしたらしいですね。

自分は雨は好きなんですが、何分制服を着ているので…好きな格好で登校できるとすれば、もしかしたら今の数倍は楽しく過ごせるかもしれません。雨でも特に傘が好きだったりします。

傘はファッションのような目立った流行だとかもなく、ただ個人の好きなものを選んで使うのでその人らしさが滲み出ているように思えたりするんです。


ところで梅雨といえば紫陽花ですが、皆さんは西洋アジサイとガクアジサイのふたつ種類があるのをご存知でしょうか。西洋アジサイはいわゆる花の集まった、半球型のお馴染みのものです。別名はハイドランジアだそうで、これはガクアジサイの品種改良でもあります。一方ガクアジサイは日本固有の、輪状に花をちらちらと咲かせ、中心には粒状の花が集まっているものです。一見紫陽花のなり損ないに見えますが、これで立派な紫陽花だったりします。

幸い通学路でどちらも見かけることができるので、良かったら探してみてください。

そんなことで何が言いたいかというと、昔の文に著される「紫陽花」はガクアジサイのことなんですね。平べったい形の、あまり見栄えのしない慎ましやかな花。もちろん西洋アジサイも綺麗なんですけれど、やっぱり葉を含めた、「紫陽花」という植物全体で見ると、ガクアジサイが自然と馴染むような気がします。


「花」の描写にも似たことがあって、奈良時代では春の花、花見といえば梅でした。雪月花のひとくだりなどから分かるように、雪と合わせてなんぼのもの。寒さに凍える中で梅のつぼみを見つけ、日ごとに膨らんでいく様子を眺めていたのではないでしょうか。その姿が紅白ということも相まって、当時の時分の人々にとって大切な存在だったのだと思います。

ところが一転、平安に入るとこれが桜に置き換わります。その理由は簡単、寒いから。

それが分かるように、桜の句は春の柔らかな陽と共に描かれることが多いです。今でも春の花といえば桜ですね。ちなみにソメイヨシノはいわゆるクローンなので、開花と落花がほぼ同時だったりします。桜前線というのもそこからですね。

余談ですが、ソメイヨシノは米国で人気だったりします。そしてそんな米国にはアメリカという桜の品種があったり…しかもこれが英名でAkebonoだったりします。なんだか堂々巡りな気分になりますね……

脱線しましたが、最近の風潮、というよりも昔から、人は楽な方に行きがちです。それが何も悪いわけではなくて、自分もできれば興味の薄いところは楽な道を歩みたいですし……ただ、ものを見るときにその単体で楽しめるか、それともその状況を楽しむかという違いが段々と現れているような気がします。

日本は限りあるものが好きですから、その間にできるだけその美しさを享受したいとするならば、もちろん効率が良いのは桜や西洋アジサイです。

単体で楽しめますから、梅のように雪が降らなくとも、ガクアジサイのように雨粒がなくともその美しさはそのままです。その限りであれば恒常の姿が見られるというのは、やはり多くの人の共感を得やすいのではないでしょうか。

それでも、自然そのものの中に存在する、無常の美しさは代え難いものがあります。

その年の小春の様子、雨の粒の大きさや雲行きなどから人により、感じるものは異なります。この美しさは、共感を主体にしたものではないのだと思います。


この二つの美しさはどちらが正解というのでもなく、ただ正しく二つとも、均等に持ち合わせているのが良いのだと自分は思います。

例えばマニアック過ぎるものは伝達能力に欠けますし、普遍過ぎるものは意外性に欠けます。もちろん、時に特化しても構わないとは思いますが…本当に面白く特化できるのは、それでこそ二つを持ち合わせた者なのではないでしょうか。

あくまでも自論ですけれどね……

これは私的な話ですが、自分は幼い頃、学校に咲く梅の観察が好きでした。雪遊びに興じた後、段々と蕾を膨らませていくその花がいじらしく思えたのか、または子供ながらの興味からか、飽かずに毎年眺めていました。今年は紅か白かと、先生と話した記憶もあります。

それでいて、また校庭に聳える桜が好きでした。

温んできた頃に、ほのかに幹が柔らかく、桜色を帯びるのがひどくたまらなく思えたのです。

それから花が開き、敷地全てを囲うような豪奢な様子も、しばらくして砂の上に花の絨毯のできる様子も、とても気に入っていました。


何が言いたいのかというと、かの二つの美しさを象徴するものの内には、それぞれの美しさが秘められているということです。自分は梅の様子を先生という他人と共有していました。これは、共通する価値が梅にあったということでしょう。

そして桜は開花前の幹が好きだという、きっとそこまで普遍的でない美しさに惹かれています。

つまり、美しさの遍歴は二つに分けられますが、その対象はどちらにも割り振ることはできないのです。それを念頭において、ものを見るときに「これはどちらの美しさに分けられるのか」などと考えずに、それこそ子供の心で美しさを感じて行きたいものです。


長くなりましたが、今週はここまでです。

というか季節に合わせるなら紫陽花の例えの一つでも出したかったんですが、生憎「マジでアジサイは毒なのか」論争をしていた記憶しかなく……

一時的に春に戻っていただきました。はい。

というわけで、来週は犬菓子…かな…?

もしかしたら新メンバーになっているかもしれません、お楽しみに!

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