個体M(以下M)は、少女の姿をした何か[#「何か」に傍点]である。背丈は一七五センチメートルと高く、髪は天然パーマのようなうねりを持った明るい茶色の状態で肩にかかるぐらいの長さに保たれている。手足は背丈に応じて細長く、顔も美貌とまではいかないものの整っており、常に上の歯を見せながら笑っている。見た目は一七歳前後のように見えるが、実際の年齢は推定一一九〇歳である。
Mは人が集まる歓楽街などの場所で目撃される。人混みに紛れてはいるが、人の流れに乗って動くことはなく、特に昼間は微動だにしない。夜間に数歩分の距離の移動が確認される場合があるが、実際にMが歩いている様子は確認されていないため、恐らくMは歩行以外の方法で移動していると考えられている。
Mは一般的な人間と意思疎通をすることが出来るが、どんな話題においても自らの母親と称する存在のことしか語らない(例えば好きな食べ物について質問すれば母親の好きな食べ物を答える)。試しに一度、私がMに
「君は自分のお父さんのことは話せないのか?」と問うと、Mは少しの間、私を見つめた後、
「私のお母さんは、私のお父さんの妻です」と答えた。
「君のお父さんは君のお母さんの夫ではないのかね?」と私が続けて聞くと、やはりMは
「いいえ、私のお母さんは、私のお父さんの妻です」と答えた。
生物学的な知見によると、Mなどの少女を騙る何か[#「何か」に傍点]には子孫を残すための器官が存在しないため、Mにも母親はいないと考えられている。Mが母親と称して語る存在が実在するのか、もしくはMの創作なのかであるかについては調査中である。
以下、Mが語ったMの母親に関する情報を列挙する。
・Mと同じ存在(つまり人ではない)
・背丈はMより小さい
・ある格闘技(競技名は判然としないが、Mの説明を聞く限りではテコンドーのようなものだと考えられる)の相当の実力者
・香辛料に関する知識を大量に持っている
・Mの父親を殺し、その死体を食した直後にMが産まれた
・母親には逆夢に基づく予言能力があるが、それはMには遺伝しなかった
Mは、人を襲うことがある。時間帯は必ず深夜であることから、先述の移動は人を襲うための行動だと考えられている。Mとしては人を襲い食すことを目的としているようなのだが、実際に人を襲っても食した事例はなく、ただ襲うだけでも食人したと勘違いして、腹が満たされるようである。ただ、Mが人を襲う様子の観察に成功した事例はなく、また襲われた側の人間に事情聴取を行っても、襲われたあとの記憶が曖昧で確かな証言が得られないため、今後も調査、観察が必要である。
Mに関して、長年の研究にも関わらず未だに不明な点が多いため、今後も新たな発見や、大きな研究成果が期待される。情報が更新され次第、随時、当資料内容も更新していく必要がある。
一九八九年一月
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