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紅葉

カシャッ カシャッ
サッ サッ サッ サッ
シャッターを押しては、歩を進める。シャッターを押しては、歩を進める。紅の洞窟の中、僕はただそれを繰り返していた。
季節は秋。空は、ただただ透き通るように蒼く。紅葉は自らを、その細胞一つに至るまで深紅色に染め上げていた。
これ以上無いほど、舞台は整っていた。何処に向かってシャッターを押しても絵になる風景のはずだ。しかし、僕は上手い写真を撮れずにいた。
カシャッ カシャッ
またシャッターを押しては、自分の撮った写真を確認して、溜息を吐く。
なんて陳腐でつまらない写真なのだろう。
ほとほと自分に嫌気がさして、僕は一旦、手頃な切り株に座って休憩することにした。リュックを下ろし、中から水筒を取り出して、それを煽る。
グッグッグッグッ
思っていたより喉が渇いていたようで、ただの水に喉は歓声を上げた。喉を十分に満たした僕は、直ぐに立ち上がる気にはならなかったので、今日撮った写真を見返すことにした。ボタンを押すたびに画面の写真は入れ替わっていく。どれも凡庸で、ネットにゴロゴロと転がっていそうな、ありふれた写真だった。
「はぁ・・・」
カメラを膝に置き、自分の上に広がる紅葉を見る。肉眼で見る紅葉は、その身に太陽の光を宿しているかのように、一枚一枚からじんわりと暖かな光が溢れていた。なのに僕の写真はどうだ。その光の影すらないじゃないか。
「はぁ・・・」
辛くて目を落とす。そこには踏まれてやつれた紅葉が際限なく降り積もっていた。
あいつらは楽しくやっているだろうか。ふと、こっそり抜け出してきた写真部の連中のことを考えてしまった。そして考えた後で自嘲気味に笑った。あいつらの事だ。さぞやグループデートを楽しんでいる事だろう。僕がいなくなって、邪魔者が消えたと清々しているかも知れない。きっとそうだ、そうに違いない。僕もあんな写真家気取り達と馴れ合う気は毛頭無かった。
「はぁ・・・」
立ち上がって、心を決めた。奴らがギャフンと言うような写真を撮るまで帰らない、と。既に今の自分がいる場所すら分からなかったし、随分と人間の顔を見ていないような気もしたが、それでもその時の僕は恐れを感じなかった。手始めに今、座っていた切り株と紅葉を撮ろう。そうファインダーを覗き込みながら、後ろに後ずさる。
ドッ
ドサッ
僕の背中が誰かに当った。
「えっ?」
咄嗟に振り返った僕の目の前に立っていたのは、悠に僕より頭5つ分は大きい男だった。逆光で顔はよく見えなかったが、大男の二つの眼はハッキリと僕のことを睨み下ろしていた。
「おい、小僧」
「ひっ」
あまりの威圧感に思わず変な声が漏れる。逃げ出したかったが、恐怖で体がピクリとも動かなかった。
「おい、小僧」
「は、は、はい」
「お前、こんな所で何やってる?」
「あ、あ、も、紅葉の写真を撮ってました」
「こんな所で?」
「は、はい」
「この時期多いな、そういう奴」
大男はそう言うと頭を掻き、その後でヌッとその手を突き出してきた。
「道案内と食い物を交換だ。ほら、食い物出せ」
「道案内? 必要ないですよ。ずっと真っ直ぐ来ましたから」
「お前、山舐めてるな。それにここは妖怪の領分だ。人間が易々と入ってきて良い所じゃないんだぜ」
「妖怪?」
自分の耳を疑う。ゲゲゲの鬼太郎以来、久々に聞くワードだった。
「お兄さん、そんな冗談面白く無いですよ」
「ほぉ、言うな」
グイッと男は僕の胸ぐらを掴んだ。そして、そのまま腕一本で彼は僕のことを持ち上げてみせた。グングンと目線が上がり、ついに僕の視線は男の豊かな銀髪を捉えた。
「これでも妖怪が居ないと、そうのたまるのか、テメェは?」
言いながら男は顔を上げて、その顔を僕の方に向けた。
ギラギラ輝く血走った眼、異様に長い鼻、そして、紅葉に引けを取らない紅色をした肌。完全なる化け物だ。
「もう一度言ってみろ!」
化け物に凄まれて、僕は意識が遠のいていくのを感じた。
目を開けると一面の赤が僕を迎えた。だんだん視界が合ってきて、それが紅葉の葉であることが分かる。僕の体は紅葉の上で寝かされていた。何で寝てるんだっけ。
「おっ、起きたか」
その声に僕はビクッと体を振るわせた。ハッと体を起こして声のした方を振り返る。
化け物は僕の弁当を一ミリの躊躇いもなくガッツガッツと食いながら、僕に対して、にこやかに手を振った。空いた口が塞がらない。
「いやいや、気絶させる気は無かったんだ。悪かった。まっ妖怪を半笑いにしたお前も、お前だが」
赤い肌の化け物は軽い口調でそう言ってみせる。弁当の大半は既に化け物の腹に収まってしまったようだった。目の前の化け物に比べれば、そんなのどうでも良いが。
「何だよ、人のこと珍しいもの見る目で見るな」
「す、すいません」
「ちっ。いちいちオドオドすんじゃねぇよ。こっちが虐めてるみたいじゃねぇか」
化け物はそう言いながら僕の弁当を平らげると、平然と水筒も開けて、その中身をグビグビと一気に飲み干してしまった。
「ふぅ、ご馳走さん」
そう言って手を合わせた化け物は、水筒と弁当箱を雑に僕のリュックに詰め込むと立ち上がった。「さっ、行くか」そう言って彼は僕のリュックを肩に担ぐと、ツカツカと赤の洞窟の中を歩き始めた。今起っている事象に対して、一つの処理も出来てない僕は唖然とする。何なんだ、一体。
「おい、早く来いよ」
僕の心など全く考えていないのか、化け物は手招きする。
「あの! せめて貴方が誰なのか教えてくれませんか!」
気が付くと僕は彼に呼びかけていた。彼のあまりの普通さに、彼のことを化け物と呼び続けるのには何だか抵抗があったのだ。
「俺か? 俺はこの山の天狗、モミジだ」
「天狗・・・本物ですか?」
「当たり前だ、こんなつまらない所で嘘ついてどうすんだ」
「いや、本物に会ったのは初めてで・・・」
「そうか。さっ、小僧。弁当の恩に報いて、道案内してやるからとっとと着いてこい」
リュックを人質に取られた僕に、彼に着いていく以外の選択肢は無かった。
「あっ、カメラが! カメラが無い!」
無言で数分間歩き続けた後、僕はハッとそのことに気がついた。今まで天狗の方に気を取られていて、すっかり忘れていたのだ。背筋が凍った。だって、あのカメラは自分でコツコツ貯めたお金で買った、結構お高いカメラなのだ。
「カメラ? ああ、それなら・・・」
天狗は僕のリュックをゴソゴソと引っ掻き回して、それから僕のカメラを取り出した。「さっき、お前が倒れた時に危ないから・・・」と何か言っていたが、僕はカメラが出てきた安堵で一杯だった。
「良かったぁ」
彼の手からそれを奪い取るようにして、自分の胸に抱える。
「写真好きなのか?」
「はい」
「にしては、さっき、あんまり楽しそうな顔はしてなかったな」
「そ、そうですか?」
「まっ、どーでも良いが。それより見せろよ、どんな写真撮ったんだ?」
「いやいや、そんな」
「謙遜するな。この山が舞台で『そんな』なんて事は無いだろう。良いから、よこせっ!」
天狗は強引にカメラを僕から引ったくった。「ああっ」と言ったが、見て欲しい気持ちもあった僕は、それ以上追求しなかった。自分ではイマイチだと思っていたが、他の人から見たらそんな酷くも無いんじゃないか。そんな甘い期待が頭を過ぎる。
だが僕の期待に反して、写真を進める度に、天狗の顔は曇っていた。
「ん〜」
最終的に梅干しのような顔になった天狗は、ポリポリと頭を掻きながら唸る。そして「微妙だな」とハッキリ言われた。分かってはいたが、それでも人に真正面から言われるとかなりショックだった。
「ですよね」
「ああ、綺麗と言えば、綺麗なんだけどな。何だろう。凡庸というか、ありきたりと言うか、この山でこんな写真を撮るなんて才能を微塵も感じられないと言うか・・・」
天狗は真剣な顔で僕の写真への辛辣な言葉を浴びせられ続けた。確かに凡庸には違いないが、そんなに言わなくても良いじゃないか。言葉がグサグサと心へ突き刺さっていく。
「もう返して下さい・・・」
完全に落ち込んだ僕は、そう言って手を伸ばす。しかし、天狗は一向にカメラを返してくれなかった。
「ちょっと、何で返してくれないんですか!」
「まぁ、待て。あと少しでお前の何処がダメか分かりそうなんだ」
天狗は真剣な顔でスクリーンと睨み合う。長い沈黙の後、彼は「あっ」と声を上げ、ピンと人差し指を突き立てた。
「分かったぞ! お前のダメな点!」
「本当ですか?」
「おう、アングルがダメだなんだ。アングルが!」
「アングル?」
首を傾げる。おおよそ考えられる全てのアングルは試したと思うが。
「よし、小僧。行くぞ」
そう言うと天狗は急に僕のことを腕に抱えた。
「ちょっ、何するんですか!」
「だから、行くぞって!」
「何処に?」
「空に」
「へ?」
タンッ
けたたましい踏み込みの音が空気を揺らした。天狗が踏み込んだ場所に小さなクレーターが出来上がり、周りの落ち葉が舞い上がる。そして、僕を抱えた天狗の体が宙に浮いた。当然、抱えられた僕も宙に浮かぶ。浮かび上がった僕らは、重力に逆行し、空目掛けて進んでいった。全てがゆっくり進む。ズンズン青い空が近づいていく。何だか、空の方に落ちていってるような、そんな感覚を受けた。
「着いたぜ」
気が付くと僕は赤く色づいた山を下に見下ろしていた。あんなにも地面が遠いのに、不思議と僕は冷静だった。今日会ったばかりの天狗に何の抵抗もなく体を委ねていた。
「どうだ、綺麗だろう?」
天狗の自慢気な言葉に、僕は素直に頷いた。絶景だった。紅く色付いた山の向こうに、僕達が住んでいる街が見え、その更に向こうの向こうに空と一体になった地平線が見えた。この世のものとは思えない景色だった。
「小僧、お前の写真は世界を狭く小さく捉えすぎだ。もっと高い視点からものを見ろよ、世界は広いんだぜ」
世界は広い・・・。
目の前の光景を目の当たりにして、その言葉は僕に染み入った。
「さて、さらに絶景にしてやるか」
天狗は僕を抱えている方とは反対の手で何処からか、紅葉の葉を大きくしたような団扇を取り出した。それを下の山に向け、扇いだ。
ヒュゥゥゥゥゥ
強烈な風が山全体をざわつかせる。天狗は何度も何度も風を山に送った。何回目か分からない風を山に加えた時、それは起った。
最初は一枚の紅葉の葉だった。それは螺旋を描くようにクルクル僕達の方を目掛けて昇ってきた。そして、その葉はピトッと僕の手にとまった。それを合図にしたように
ザワザワザワ
森は今までになく大きくざわめき出した。何かとんでもないことが起こる予感が肌を駆け抜ける。そして、一瞬降りた静けさの後、ザワァッと森から一斉に大量の紅葉の葉が飛び出してきた。まるで天に昇る竜の如く、紅葉の葉は螺旋状に僕達の元へ向かってくる。
ぶつかる、そう思って顔を手で覆ったが、それは僕達の飲み込む一歩手前で解け、山に降り注いでいった。太陽の暖かさを宿した葉がユラユラと、ユラユラと落ちていく。
「落ち葉も綺麗だろう。それより写真に撮らないで良いのか?」
「はい」
僕は頷いた。カメラを構える気にはならなかった。ただただ1秒でも長く、自分の目に目の前の光景を焼き付けたい一心だった。
「小僧。じゃあな、これでお別れだ」
「えっ?」
「もう迷うんじゃねぇぞ」
そう言ってバックとカメラを僕の腕に持たせると、天狗は紅葉の螺旋へ、僕のことを投げた。体が浮いたのは一瞬、直ぐに僕は紅葉の上に乗った。まるでフカフカのベットに飛び込んだ時のように、紅葉は僕を包んでくれた。そのまま紅葉に身を任せ、僕は緩やかに地上へと戻っていった。
ポフッ
僕が尻餅をつくと同時に、紅葉の螺旋は解けて無くなった。
何だったんだろう。上を向くが、見えるのは降り注ぐ紅葉の葉ばかりで、その上にいるはずの天狗の姿は確認出来なかった。本当に天狗は居たのだろうか。一瞬不安になったが、空の弁当箱と水筒が、直ぐにその不安を打ち消した。写真が無いかと、カメラを見たが、驚いたことに、今日撮った写真は一枚残らず消えていた。
「世界は広い・・・か」
リュックを背負い、カメラを首から掛け、立ち上がる。
少し歩くと直ぐに人だかりに出会った。彼らは皆、降り注ぐ紅葉に向かってカメラを向けていた。その中に写真部の連中もいた。声を掛けるのを躊躇っていると部長の方が先に、僕に手を振って駆け寄ってきてくれた。
「何処に行ってたの! もう自由行動は後って毎回言ってるじゃん! ダメだよ、一人で行動したら! 心配したんだから!」
「すいません」
肩を掴んでブンブン揺さぶる部長に、僕は頭を下げた。
「まぁ、何事もなく無事で良かったけど。あれだよ、君。次、もし勝手にいなくなったら本当に許さないからね!」
「はい」
「反省してるなら、よし! それより見て見て、紅葉! さっきから降って来てるんだ! すごいよね! 綺麗だよね!」
彼女はそう言うとおもむろにカメラを構えてシャッターを切り出した。
「それより、みんなは?」
「皆、手分けして君を探してるよ! 後でちゃんと謝ってね! あっ、そうだ皆に連絡しなきゃ!」
部長はカメラを下ろし、皆に連絡を撮り始めた。そんな彼女を僕はボーッと見ていた。そんな時、ピトッと僕の頬に何かがくっついた。ちょうどそのタイミングで顔を上げた部長は、僕の顔を見るなり盛大に吹き出した。
「な、な、何ですか?」
「いや、だって、ほっぺに紅葉ついてるもん」
「えっ?」
「待って、待って、触らないでね。すぐに写真、撮ってあげるから」
部長がカメラを僕に向かって構えた。いきなりでどんな顔をして良いか、分からず焦る。
カシャッ
そんな僕などお構いなしに、部長はシャッターを切った。
「うん、良い写真だね」
カメラを覗き込んだ部長が満足そうに頷く。僕も彼女の隣から覗き込んでその写真を見た。
「今すぐ消して下さい!」
「嫌だ!」
見た途端、僕は言いようもない恥ずかしさに襲われ、彼女からカメラを奪おうとした。
「良いから消して!」
「なんで! いい写真じゃん!」
「そ、それは・・・」
「はい、保存ね」
「あっ、ちょっとぉ!」
その写真には、頬に紅葉をつけて、はにかむ僕の姿が映っていた。頬に張り付いた紅葉は、じんわりと暖かな光を放つ、見事な紅色をした葉だった。きっと、きっと、その紅葉の色が僕の肌に染み入ってしまったのだと思う。はにかむ僕の頬は、天狗や、紅葉のそれよりも、目に見えて、はっきりと、紅色に染まっていた。

​國學院久我山高校文芸部

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