再会
私は秋が嫌いだ。紅葉は美しく、虫の奏でる音色は素晴らしい。しかし、その後にやってくる死の季節、冬のことを思うと、それが今際の際の最後の抵抗であるように見えてくる。季節が進むにつれて、生物の数が目に見えて減ってくる。さらに、雪が降り始めると、極寒の閉ざされた世界に人間だけが取り残されているような錯覚に襲われるのだ。
やりたいことが特に見つかっていない私に浴びせられる教師や家族からの鬱陶しい催促とも重なって憂鬱になっていた頃、東北の山奥に住む祖母が亡くなったという知らせが舞い込んできた。東北の日本海に面した街に住んでいた私と両親は会社と高校を早退し、車で家へ向かった。
祖母は九十二歳と高齢だったが、持病はなく、祖父と二人でひっそりと暮らしていた。家同士の距離が近かったこともあり、私はよく面倒を見てもらっていた。祖母がよく作ってくれた郷土料理がもう食べられないのだと思うと、胸が引き裂かれるようだった。
実家に着くと、祖父が出迎えてくれた。大柄な祖父がいつもより少し小さく見えた。
着いたのは、私たちが一番早かったようだ。私たちは祖父の元へ向かった。布団に寝かされている祖父は幸せな夢を見ながら眠っているようだった。まだ生きているのではないか、と思って手に触れてみると、それはとても冷たく、祖母の死を実感させた。私は違うとわかっていてもこの秋が祖母の温かさを奪ってしまったように思えてならなかった。葬儀は明日だからゆっくりしていけ、と祖父は言った。両親は祖父が部屋を片付けるのを手伝っていたが、私には、こんな身近な人が死ぬのは初めてだろう、手伝いはしなくていいから、ちゃんと向き合ってきなさい、と言って手伝わせてくれなかった。
手持ち無沙汰になった私は祖母の書斎に行った。椅子に座って机に積まれた本の題名に目を通した。罪と罰、カラマーゾフの兄弟、イワンの馬鹿、ロシア文学だらけだ。ここには時々来ていたが、祖母の読む本を知ったのは今が初めてであった。
殆どの本が埃をかぶっていたが、一箇所本が全く埃を被っていない綺麗な場所があった。そこにある本はどれも見覚えがあった。ガリバー旅行記、ナルニア国物語、ホビットの冒険。最初はなぜ見覚えがあるのか分からなかった。しかし、本を開いて挿絵を見ると、祖母の声と共に記憶が蘇ってきた。私が小さかった頃、祖母が私に一日中読み聞かせてくれた本だ。その頃の私は奇想天外な冒険の話が好きでここに来ては本を読んでくれとねだってばかりだった。そんな私に祖母は嫌な顔一つせず付き合ってくれた。しかし、私は年が上がるにつれ、本から離れていった。
何故私は今までその記憶を忘れていたのだろう。
本棚には、それらの本の文庫版や、同じ作家の作品が置いてあった。それらの本は誰かに読まれるのを待っているかのように綺麗に保たれ、整理されていた。
それを見て私の頭に、来るたびに書斎に来ないか、と誘ってきた祖母の顔、私が帰る時少し寂しそうにしていた祖母の顔が浮かんだ。私は居た堪れない気持ちになって部屋を出た。
広間に戻ると、他の親戚も若干名到着していた。私は人と話すような気分ではなかった。両親と祖父に散歩してくる、と告げコートを着て外に出た。
まだ秋とはいえ、外はだいぶ寒かった。どこに行こうか迷ったが、何も考えず、気の向く方へ歩くことにした。
森林の中を貫くようにして通っている道に私は入った。木々の紅葉ははとんど終わっていた。赤や黄色に染まった葉は地面に落ち、歩く度に音を立てた。上を見ると、葉が少なくなった枝の隙間から紅色の空が見えた。木の葉の色と、空の色とが混じり合い、どこが空でどこがこの葉なのか分からなくなってしまった。不覚にも、私はその光景に目を奪われてしまった。
さらに歩を進めると、沢に出た。手頃な岩を見つけると、私はそれの上に腰を下ろした。そこは何か懐かしい心地よさを感じる場所だった。
流れる水の音に耳をすましていると、また祖母との記憶が蘇ってきた。それは十歳くらい頃だ。私は今と同じような季節に祖母とこの道を歩いていた。私の秋嫌いはその当時からずっと変わっていないらしい。家にいる、と言って聞かない私を見かねた祖父が私を無理矢理部屋から連れ出し、祖母と散歩に行ってこい、というから仕方なく出てきたのだ。祖母は秋に開花を迎える綺麗な花を行く先々で教えてくれた。しかし私はその花が無惨に枯れてゆく姿を想像してしまい、祖母に向かって 「秋の花なんか大嫌いだい。だってみんなすぐに死んじゃうじゃないか」 と言った。祖母は困ったような顔をして、「この花は冬に咲いて死んでゆく、この花は春に咲いて死んでゆく、この花は夏に咲いて死んでゆく。残念だけど、どんなものも生まれてきたからには、死ななきゃならないのよ。あなたが死んでゆくものが嫌いなら、あなたはなにも好きにはなれないのよ。」 と言った。
当時の私には衝撃的な言葉だったのだが、時が経つにつれ、その言葉は私の中から姿を消していった。だが今、こうして祖母の死という現実に向き合っていると、祖母が生前口にした言葉や、行動はそれらが現実に起こった時よりもずっと、ずっと鮮明な衝動を伴って私の中に浮かび上がってきた。その衝動は時間が過ぎても鮮明さを失わず、寧ろ祖母が死んだという事実に向き合うたびに私の中での存在感を増してゆく。
記憶の蘇りもなかなか止まらない。
母はあの言葉を言った後、地面から何かを拾ってきて私に見せた。それは、銀杏や何かの植物の種だった。祖母は私にこう言った。 「これは植物の種、この秋、新しく生まれた命だよ。」 私は驚いた。それらはとても小さく、命を持っているようには見えなかったからだ。祖母は続けた。「ビックリするかもしれないけど、これはもう、生きるための力、命を持っているんだよ。そして、これを生み出したのは、あなたが死にゆく存在だと言っている植物なのよ。どんな生き物だってただ死にゆくんじゃない。次に命を繋げようとしているのよ。秋で全ての命が消えてゆくわけではないの、冬に命が一切ないわけじゃないの。どこかで命は繋がっているのよ。」
私は、秋の柔らかい夕陽を受けて光っている水面を見ながら、そのことを思い出していた。顔を上げると、夕陽の紅と夜の暗さが交わり、紫色に染まった空が見えた。今この瞬間私は生まれて初めて心の底から秋に対して「美しい」 と口に出すことができた。 私はこの今まで感じたことのない感情を少しでも長く味わいたい、と願った。しかし、夜は瞬く間に全てを覆い尽くした。 私は暗くなった道を一人で下った。
家では両親が怒りながら待っていた。
「夜の山は危険なんだからもっと早く帰ってきなさい。」 と言った。祖父も心配して出てきたが、私の顔を見ると、 「ちゃんと帰ってきたのだからいい。夕食の後、私の部屋に来なさい。」と言って家の中へ入っていった。
夕食の時間には、多くの親族が集っていて食事も豪勢だった。同年代の人がいなかったので、私は多くの人と少しずつ話した。話を聞いていると、祖母は私についての話をよくしていたらしい。小さい頃から本を沢山読んでいるから、いつか絶対に何かすごい事をやってのける子だ、と。以前までの私だったら、申し訳なさで押し潰されていただろう。しかし、今の私には祖母が今も隣で同じ事を言い続けてくれているような安心感があった。
夜。私は祖父の部屋を訪ねた。アルバムを見ていた祖父が顔を上げた。 「おお、来たか。」 と言って私に座るよう勧めた。「今日はきちんとばあちゃんに会えたみたいだな。」 私は一瞬理解できなかったが会うという言葉に思い当たる節があり頷いた。 「なら良かった。その上で、ばあちゃんは死んだと思うか。」 「いいや、ばあちゃんは死んだけど死んでない。」 この時私には祖母がまだ死んでいないという直感だけがあった。それから私はゆっくり話し始めた。 「確かにばあちゃんはこの世にはもういない。けど、まだばあちゃんはばあちゃんが関わってきた人それぞれの中で生きている。中には繋がりが薄くて、既にその中ですら死んでしまった人もいるかもしれない。でも、俺の中では確実に生きている。死という出来事を通して再会してから、それだけは言える。」
祖父はしばらく黙っていた。しかし、その沈黙は何か心地よいものだった。
祖父が口を開いた。 「お前が再会と読んだその感覚は不思議なものだよなあ。相手が生きている時には気にもならなかった相手の行動や発言が死んでしまった後で思い出せるのだから。そして、それらが相手と過ごした日々だけでなく、それまでの自分の行動や考えと向き合う機会になるのだから。一度この事を知ってしまうと、他の人との間では相手が生きているうちにそれらと向き合いたいと望むのだが、それは決して叶わない。何時だって気づくのは相手が死んでしまった後なんだ。」 「じゃあ死というのはただ死であるでけでなく、生の反復、受け取り直しという意味が込められているのかもしれない。死を通して相手の生を反復する、生の反復を通して相手と再会する、相手との再会を通して過去の自分と再会する。だから人の死というのはそれに触れた人の人生を左右するほどの力を持っているのかもしれない。」 「お前は面白い事を言うなあ。やっぱりそういうことを考えるのに向いてるんじゃないか。」 祖父の言葉を聞いて私は深く頷いた。
その後、祖父とこれでもかというほど祖母の思い出話をして私は床に着いた。シミがついた天井を見ながら私は自分のこれからについて考えていた。私は何をして、どう生きるべきか。しかし、いくら考えても答えは出ない。それは当然なのだろう。たかだか数十分考えた程度でその問いに答えられるならば、それは真の天才か、よほどのバカだろう。多くの人間はそうではない。だから、人間は悩み、考えながら生きてゆくのだろう。
しかし、もしかすると、私には祖父が言ったように、多少なりともそういう事を考えるのに適性があるのかもしれない。ならば、若い間、特に大学でそういう問いと真向から向き合ってみるのもいいのかもしれない。私はこの私の中に見えた可能性に賭けてみたくなった。
しかし、私はまだそのための場所にいない。寧ろ、これからその場所に行くために戦わなくてはいけない。その戦いで負けてしまうなら、所詮私はその程度の人間だ、という事なのだろう。だからこそ私は本気でやりたい。全力を出せずに負けるなんてまっぴらだ。