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​闖入者

秋はずるい悪魔だ。       __太宰治『ア、秋』より   

1 老人

 「漢方はいかがですか?」  
 いつ私の家に入ってきたのだろう。会社から帰ってくると、見知らぬ老人がリビングにいた。しかもニュースを見ながら夕食を食べる親父が如く、我が物顔で押し売りをしてきたのである。私は驚きのあまり手を洗うのも忘れて老人に問うた。
 「えと、あの、あなたは……誰ですか?」
 「訪問販売の者です」
 「訪問販売って……普通、玄関先でやるものでしょう。勝手に入らないで下さいよ」
 「だってあなた、訪問ですよ? ニュースとかで〈首相が農家を訪問〉って言ったら、首相は農家の中にいるでしょう。な   のに何で私はあなたの家の外にいなくてはならんのです?」
 「それは首相が偉い人だからでしょう」
 「私だって偉いですよ」
 「どこが」
 「年功序列と言ってですね……」
 「出ていってもらいます」  
 私は無理やり老人の腕を掴むと、玄関のドアを開けて、そのまま老人を外に引きずり出した。 「私はもう七二歳ですよ。手荒い真似はしないで下さい。あなたは何歳なんですか?」
 「一〇〇年後にはあなたより偉くなってますよ」
  私はそう老人に言うと、大きな音をたてながらドアを閉めて、素早く鍵をかけた。  今日はとっとと寝よう、そんなことを考えながら晩御飯を食べることにした。  



2 強盗  
 何日か経って、私は風邪を引いた。発熱もするし、咳も止まらない。多分、手も洗わずに晩ごはんを食べたからだろう。仕方がなく会社を休むことにした。  部屋のカーテンを開くと輪郭のない太陽の明かりの下に多くの人々が行き交っていた。  私はすっかり嫌な気分になって、ソファに寝っ転がって天井を見てみると、まるで天井をキャンバスのように利用しながら、褪せた色彩で押し売りをしてきた老人の顔を描いている男がいた。  元を辿ればあの老人が原因じゃないか。そう考えると私は老人の容姿を思い浮かべた。  背はそんなに高くない。私より二〇センチメートル以上は小さいだろう。頭は年齢相応の禿頭で、横周りに残っている髪は真っ白だ。全身白い服で身を固めていて、なにか異様な、妖精じみたところがあった。 「妖精には優しい者もいる。しかし……」
「悪い者もいる」天井の男が言った。
「その通りだ」  
 俺はそう呟くと目を瞑った。そうしているうちに、眠りについた。

「起きてください」聞き慣れない声がそう言ってきた。  
 目を開くと、先ほどの男がいた。
「起きたら、そこから退いて下さい。下絵にペンキで色を塗りますから。さっきまではカラーペンを使っていたので別に良かったんですけど、ほら、ペンキって垂れてくるでしょう? 朝起きてみたら身体中に赤やら青やら緑やらの斑点があったら嫌でしょう。ですから、退いて下さい」
「はあ……」  
 まだ熱も治まっていないのだが、顔に悪戯描きをされるのも嫌なので、私は素直に従うことにして、部屋の隅に移動した。  その場所で男の作業を見続けることにした。
「ご協力ありがとうございます。大丈夫ですよ、あと二〇分とかかりませんから」
 天井を見てみると、さっきまで輪郭しかできていなかった顔が、ほとんど出来上がっていた。目元の陰影なども見事に再現されていて、いろんな場所に〈赤〉とか〈紫〉などと描かれている。  
 そんなことを気にしているうちに、男は私の見ていた〈赤〉という場所に赤のペンキを塗り始めた。
「あっ」  
「どうかしましたか?」男は驚いて色を塗っていた手を止めてしまった。
「天井には色を塗らない派の方でしたか?」
「いや、別にそんな派閥に属してはいませんが……」
「じゃあどうしたんですか?」
「あの、貴方は……誰ですか?」
「へ?」
「だって貴方、初対面ですよね?」
「はい」
「なんで貴方は会ったこともない人の家に入れるんですか?」
「ああなんだ」  
 そう言った後、男はこう続けた。
「縺昴l縺ッ遘√′蠑キ逶励□縺九i縺ァ縺吶h」
 こう言われたとき、私は納得してしまった。
「そうですか、強盗なんですか。強盗っていうのは稼げるんですか? 確かに昔の強盗については華々しい話もよく聞きますけど、今はあまり聞きませんよね?」
「そりゃそうですよ。今時の強盗に華々しい話なんてあったら、あっという間に居場所が特定されて、捕まってしまいますからね。昔は強盗ファンみたい人も多かったし、警察の方にも人情味があった。でも今じゃそんなものありませんから。下手に目立つわけにもいかないんです」
「なるほど」
 いくら強盗のような法の一線を越えている人間でも、世の中の流れに逆らうことは出来ないんだなと思うと、公園に誰もいなかった日のような、少し残念なものがあった。

 太陽はとっくに沈んでいるようだった。闇は空と共に溶けていた。清涼とは、こういうものを指して言うのだろうか。 「さ、終わりました」
強盗がそう言ったので、私は天井を見上げてみた。

 極彩色だった。極彩色で描かれた老人がそこにはいた。
「老人はこんなんじゃありません」私は思わずそう言った。
「それは貴方に見えていないだけですよ」と強盗は答えて、家から出て行こうとした。
「華やかな絵ですね」
「絵というのはそういうものです」
「何も盗まなくていいんですか」
「もう盗んでますから」そういうと強盗は窓から飛び降りていった。  
 窓の下を見てみると、強盗はもういなかった。
「なにか、強盗しか知らないような抜け道を使ったのか、それとも……」  
 それとも、闇に溶けたのか。   



3 そして再び  
 翌朝、起きてみると老人がいた。しかし、髪は青く、目は橙色になっていて、服も紫だったり赤だったり黄色だったりになっていた。  
 ちょうど、昨日強盗が描いた絵のままの格好であった。
「聞きましたよ、風邪をひいたんですってね」
「はい」
「やっぱり漢方が必要だったでしょう」
「必要でしたね」
「でしょう。どうぞ」  
 そう言うと、老人は私に白い布で包まれた粉末をくれた。
「有難いんですけど、代金は……」
「結構々々。既に頂いています」
「え? どうして……あっ!」
「強盗というのは華々しいものですねえ、何しろ闇に溶けてしまうんだから。私ももう少し身軽だったらやってみたいものだ、呵々」
「出来ますよ、きっと」
「だと良いですけど」  
 老人は立ち上がり、窓を開けた。
「その漢方は紫苑の根の粉末です。朝昼晩の食前に飲んでみて下さい。鎮咳作用があると言われています、それでは」  そう言うと、老人は窓から飛び降りた。
「あっ」  
 私は老人が死んだんじゃないかと思って、慌てて窓に寄ってみた。
 すると、老人は何もない空中を歩いていた。
「私は死にませんよ。褪せた人間ですから」
 老人は振り返ってそう言った。そしてまた空中を歩いていった。 

 晴れた朝である。闖入者というのは、実に偉い者を指す言葉なのだろう。

​國學院久我山高校文芸部

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