すばらしき吝嗇家
洞窟を前にしてAは背筋を正した。ズボンは処々裂け、脚や首には切り傷が走り、擦り傷から血が滲んでいる。
数年に一度だけ、この山を覆う雲が消える。水分を含む褐色の土壌が登山者の足に纏わりつき、生い茂る茨が体を引っ掻く。また、毒蛇が這い回り夜には獣が出るという。
手にすれば一生遊んで暮らせるほど鉱物が豊富であるという噂はあれど気安く近づく者はいなかった。
しかしAは洞窟の地を踏みしめた。一重にそれはAの貪欲さによる。例えば家の本棚にはお金にまつわる本だけが置かれている。
細い一本道をゆくと突然視界が開けたが道は続いておらず断崖絶壁になっている。どこからか水が沸騰するような音がする。底に湧き出ているようだ。
ヘルメットについた光を反射して何かが煌めいた。Aは「おおっ」と唸る。
宝石でできた道が崖に一部埋まっており、桟橋のように遠くへ伸びている。洞窟と宝石の橋の境目を慎重に叩くがびくともしない。崖はもう岩と化している。
橋の宝石一カラットで食費一ヶ月分を賄える。Aは鉱石ハンマーを握りしめたが、はたと止まってその先を見つめる。彼の視線はまた違う種類の宝石を捉えていた。一カラットで高級時計を一台買える。Aには店に入り品定めすることも許されないような代物だ。
橋は採掘すると足場がなくなり奥の宝石が無駄になってしまう。
屈んだままAは一歩その橋へ乗り出す。ゴム長靴の裏が凹凸に合わせて曲がった。すると再び異なる宝石を見つけた。「車……!」と彼は生唾を飲み込む。
中腰で小刻みに震える足を進めるたび、宝石の価値は上がっていく。橋は崩落する様子もなく、Aはいつしか小走りになっていた。
桟橋の行き止まりでAは目を三日月にし、いよいよハンマーを構えた。宝石が輝いて応える。カン、カン、と洞窟に高い音が鳴り響く。
しかし彼のハンマーの音ではない。後から来た誰かが橋の初めから数歩先の場所でせっせと宝石を削り始めているのだ。
Aが足と上半身を後ろに捻ると、ぱらぱらと宝石の欠片が落ちた。足を止め、腹に一度力を入れるも、Aはただ金魚のように口をパクパクさせた。吐いた空気に混じって「やめろ」という言葉が漏れた。
Aのヘッドライトが何もない闇を照らす。足元がぐらりと揺れた。
Bがこめかみの汗を腕で拭う。彼は母親の手術費をどうにか工面すると宣言してこの洞窟に来ていた。
ほっと微笑み「これくらいかな」と呟いたところで誰かの叫び声が幾重にも重なって響いた。
つとBは頭を上げるが虚空が広がっている。宝石の桟橋は粗方地の底へ落ちた。「大丈夫か」と声を絞るも、己の声が反響して戻ってくるのみ。Bは暫くその場に留まっていたが陽も陰る頃、抱きしめていたぼろぼろのリュックサックを背負い洞窟をあとにした。